「すごくね?」ってすごいかもしれない
冷静に現代語を考えてみると結構すごいかもしれない。
伝えるという一点に進化していく。
言葉は必要性を追求する。
日本語の誤った用法が広まっていくのは悲しいことだが
一概に嘆いてもいられない。古来より言語は移り変わってきた。
そっちの表現のほうが感情を伝えやすいと思われた結果形を変えていくし
誤った用法で定着した語も少なくない。
例えば
「普段はあまり考えたことがなかったのだけど、思えばそれはなかなかすごいことじゃないか」
というよりも
「何気にそれってすごくね?」
と言ったほうが
考えが伝わる、簡単だ、と思われるようになると言葉が市民権を得る。
この「〜くね?」(やばくね?すごくね?)も結構すごいと思う。
話し手が「〜くね?(じゃね?)」といったときすでに会話は完結している。
もともとは「〜じゃない?」から派生したと思われる相手に同意を求める語尾であるが、相手が同意することはすでに決定しているのだ。第一、この語尾が付けられる語というのは、大抵意味が曖昧なものである。
本来、〜の部分の説明を待つか、それについて考えるはずの段階でいきなり同意を求めている。つまり、この「〜くね?」が使われる場合、場の空気として見解が一致しており、相手が同意をすることを前提として発されている。もしくは相手が分かって当然なくらいに自分は心を動かされた、という強調の用法で、これも会話は完結している。
話し手が「やばくね?」と言ったとき、相手の反応は「うん、やばいやばい」か「何でだよww」の2つに絞られる。(後者はやばくないということを分かっている前提で聞く所謂ツッコミ待ち)
話し手の考えが本当に伝わったのかは知らないが、ともかく、伝わったことにはなっている。
これはやばい。いや、よくも悪くも進化している。
こんなことで感情の機微が伝わるはずはないと嘆くことも大事だが、
実際、現代語を使ったほうが会話は楽だし、早い。
このことをもっと考える必要があると思う。
語彙を増やしたいとか綺麗な日本語を使いたいとか言っているだけでは多分無理だ。
現代語の特有の力強さに押し流されてしまう。「伝える」ことに進化したあのテンポの良さに勝てない。
舞城王太郎の「阿修羅ガール」を読んだときのあの感じ。小気味いい文章だなと思うと同時に、ずるい、これを認めたくないと思う心境もあったあの感じ。美しい日本語を使っていきたいと思うが、現代語のテンポの良さもいいな思い、僕はいたって曖昧である。
「何気なく」が「何気に」になると思ったよりも、中々、といった意味になるのは
「何気ない」のはっきりした考えや意図がなくて行動するさま、という意味から、考えがなかったという気持ちがクローズアップされて予想外、何気に、になったのかしら